県西支部 副支部長 小林 幸一
平成21年10月9日(金)、前日までの悪天候から抜けるような秋晴れの大空に向かって、航空機は羽田を離陸した。
1時間ちょっとで愛媛県松山空港へ着陸し、ホテルにチェックイン後、路面電車に飛び乗り、早速大会会場へ向かった。
空港等、街の要所要所に愛媛県の単位会の方たちが丁重に案内をしてくださり、もてなしはGOOD。また、案内をしてくださる皆さんが、スカーフのような薄手のタオル(名産品)のようなものを首に巻いていて、見るからに関係者であることがわかった。なるほど・・・。会場は「ひめぎんホール(愛媛県県民文化会館)」と称される、荘厳な空間を生み出しているきちんとした施設であり、設計は、丹下健三氏だそうだ。ロビーや屋外広場では、愛媛の物産展が展開されていて、多くの参加者たちが、集まっていた。面白かったのは、蛇口をひねると水の代わりにオレンジジュース(ポンジュース)が出る装置が準備されており、(空港にも設置されているが)多くの参加者の人気となっていた。これも一種のおもてなしか、地域のアピールか。
そうするうちに、芝事務局長が会場へやってきて、神奈川会の着座エリアに向かい、見覚えのある仲間たちと落ち合った。(一部の神奈川からの参加者は、うまいものに舌鼓を打ちすぎて、顔が赤らげていた方もいた。ムム、うらやましい・・・。)
今大会のテーマは「建築に夢、地球に愛」、スローガンに「夢~愛、永久との絆・建築創世」と掲げている。まさに環境を踏まえ、そしてかつての夢を建築に取り戻そうといった意気込みが伝わってくる。プログラムとして、パネルディスカッション「いで湯と城と文学のまち・日本一のまちづくり」で松山のまちづくりの動きや人々の思いが語られ、記念講演では、「ガウディ論」をサグラダ・ファミリアの彫刻を担当すると外尾悦郎氏が興味深く講演した。とてもこの紙面では書ききれないくらいの内容であった。
その後大会式典へとプログラムは進行し、日事連 三栖会長の挨拶、来賓挨拶、日事連建築賞各賞の表彰等が行われ、記念パーティーへと進んだ。パーティーでは、地元の料理に出会えるを楽しめるのが一番の楽しみだ。松山も、とても美味しい食べ物が数多くあった。海や山に囲まれ、自然の資源が豊富のようだ。盛況のうちに閉会を迎え、その余韻を残しながら神奈川会のみんなと二次会のために街へ繰り出した。松山の歓楽街は、50万人という人口規模に比べて大規模だ。飲食店の数や、行き交う人たちの数は横浜クラス以上に感じた。残念ながら神奈川会は3グループ程に分散してしまったが、県西支部の2名は、大和座間支部長の小幡氏が手配した二次会場へ、横浜支部等の方たちと繰り出し、建築談義や、組織のあり方等について大いに議論を交わした。あっという間だったが、神奈川会同志が大変懇親を深めることができた。とても楽しかった時間を胸に、各自それぞれの宿へ向かった。
2日目は、個人的に、レンタカーを飛ばして愛媛県西方の佐田岬へ行き、九州や本州、瀬戸内海の島々等、豊かな自然を満喫しながら、地形が地図の通りであることを確認した。瀬戸内海や四国沿岸に浮かぶ島々、眼下に広がる豊後水道、そして眼の前の九州 大分市。一度見てみたかった風景、とても風光明媚・・・。岬のおばあちゃんから珍しい昆布を購入し、地魚料理を頬ばり、一路松山市内へ約2時間。松山空港のアクシデントのため急遽延泊し、ひとり松山の夜を楽しんだ(フフ)。
翌朝は、早起きし、本当にゲタ代わりで便利な路面電車にまたまた飛び乗り、道後温泉の建物を見物。歴史が蓄積され圧巻だ。まちづくりにとても生かされている。その後高台に建つ松山城へ上がった。とても長く、なかなか本丸の見えないアプローチは演出効果バツグン!ボランティアの若者がいたるところでおもてなしをしており、僕も一緒に写真に納まった。最後に、安藤忠雄設計の「坂の上の雲ミュージアムを見学。周辺環境に溶け込み、使いやすそうで洒落た美術館で、多くの利用者で賑っていた。
松山は、まちづくりに対して官民力を合わせて、取り組んでいると感じざるを得なかった。地域の人たちが地域に対し大変愛着を持っていて、とても気持ちが良く、いい街だなあと感じさせた。
平成21年11月下旬から、ドラマ「坂の上の雲」がNHKで放映されているが、愛媛県 松山出身の正岡子規をはじめ日本に多大な影響を残した松山の生んだ3人の生き様を描いた作品だ。
少しの滞在時間だったが、初めて訪問した松山そして松山の文化に触れることができたのも、全国大会の御蔭だ。
機会があれば、皆さんも是非、全国大会へ参加し、すばらしい思い出をお土産に持ち帰ることを進めたい。